封印された記憶
その日はからっとしない空模様が朝から続いていた。
夕方から、静かな雨が降っている。
俺は食品部の皆を先に帰して店頭のケース内を布巾で拭いていた。
ふっと入り口付近のざわめきが静かになってるのに気がついた。
いつなら店員達が帰り支度を始めて賑やかな話し声が聞こえてくる筈なのだがと、
思いながら手を止めて入り口へ視線を向けると。
着物姿の女性が真っ直ぐにこちらに向かって歩いてくる。
左手に三味線の入った紫の袋を抱えている。
何となく、その女性の纏う凛とした空気感に覚えがあった。
やがて女性は俺の前で立ち止まる
「やっと逢えたわ」
薄く微笑んだ
「美沙子……」
身体中の血管を電流が走ったような衝撃を受けた
ふたりは見つめあったまま 動かなかった いや動けなかった
視線が絡み合ったまま ふたりの脳裏には同じ光景が見えていた
封じ込めていた記憶が鮮やかに身を起こした
赤い屋根のアパートの二階 六畳一間の小さな部屋 窓から雨に煙る街並みが見える
「あのティーカップ あるかしら……」
美沙子は呟いた
(続く)
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