大切なもの
「事情がありまして、今夜で辞めさせていただきます」
俺は軽く頭を下げて告げた。
「うん、分かってる」
主人は女将から大体の事は聞いているのだろう。黙って封筒を差し出した。
今月分の給料だろう。
「有難うございます。お世話になりました」
頭を下げて旅館を出た。
湯本駅に向かった。電車で平まで行こうと考えていた。
平までは二区間の距離である。今夜は会長の自宅を訪ねて一晩泊めてもらおうと思った。
「そういや長靴のままだったな」
苦笑しながら湯本の駅舎へ着くと最終便まで三十分もある。
誰も居ない凍てつくような駅舎でベンチに腰掛けると、ぼんやりとしていた。
……何だか、とても大切なものを忘れてきたような気がした。
(続く)
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